top of page

多摩美術大学 卒業制作展を訪れて

  • 執筆者の写真: Maki Ikehata
    Maki Ikehata
  • 1月13日
  • 読了時間: 3分

更新日:2月4日

話題になっていた多摩美術大学の卒業制作展を訪れた。

 

卒展どころか、美大には一度も行ったことがなかったのだが、この冬は「ブルーピリオド」を読んでいたこともあり、漫画で見たこと言っていたことの雰囲気が分かるのではないかということ、また、既に世に知られた予習が可能な作品ではないアートを見ることに、強い興味を持っていた。

最初に入った図書館では環境デザイン学科の作品が展示されていた。


ふと目を引いたのは「アートマン」の文字。

アートマン(आत्मन्・ Ātman)は、ヴェーダの宗教で使われる用語で、意識の最も深い内側にある個の根源を意味し、「真我」とも訳される。ヨガをライフワークにしたい私が、すぐさま反応した作品だった。トウドウ先生にもこの写真を共有したところ、作者はとても勉強されているようですね、とのこと。形になった作品をいつか見てみたい。


絵画北棟、アートテークの順に進む。

版画、日本画、油画を時間をゆっくりと時間をかけて鑑賞した。

絵の具や木材、粉っぽい匂いがとても新鮮で、ここで常に何かが生まれているんだということを実感した。

展示されている部屋に入るたび、感嘆のため息が出るばかりだった。

さまざまな個性、アイデア、表現。

特に覚えておきたいと思った作品は、撮影可能なものは写真に撮ってみたり作者さんのインスタ(QRコードが作品横に添えられているものが多かった)をフォローしてみたりした。今回の展示で見た作品が、これの先どこで再び出会えるのかを考えると、期待が膨らむ。これからの活躍に注目し、また別の機会に彼らの作品に巡り合うことを楽しみにしている。


また、展示している環境も素晴らしいと思った。

時に窓からの光と作品が完全に調和して、あるいは静寂の中に色彩から発する音さえも感じる。

美大はみんなそうなのか、あえて意図しているものなのか私には分からないが、見る者を作品に没頭させるような、そんな空間が作られていた。美大で学ぶ、将来のアーティストへのリスペクトは既にここでも感じられた。


素晴らしい作品ばかりだった。


美大のあの空間に足を踏み入れた時、最初は少し場違いな気がした。

でも、そこで感じたものは、決して自分とは関係のない世界ではなかったように思う。

美大は想像していた以上に「生きている」場所だった。

美術館で完成された作品を静かに鑑賞するのとはまったく違う、作品が生まれようとしている現場の躍動感。それを肌で感じられたことが、何よりも印象的だった。

 

様々な試行錯誤を経て形になっただろうものたち、そしてその作品と向き合う人の姿、それらを頭に浮かべてふと考えたのは、私は美術とは無関係な仕事に就いているけれど自分の仕事にもこういう瞬間があるのではないか、ということ。

 

仕事でも、人生でも、何かを積み重ねる過程があって、形にならないものを抱えながら、自分の考え得る「完成」を目指して創造すること。その大切さを、美大の帰り道、1月にしてはそう冷たくない風を受け、静かな歩道を歩きながら思い返していた。

Comments


bottom of page