top of page

岡本太郎 1

  • 執筆者の写真: Maki Ikehata
    Maki Ikehata
  • 2024年11月24日
  • 読了時間: 3分

更新日:1月23日

 

太陽の塔(2022年6月撮影)
太陽の塔(2022年6月撮影)

 6歳まで万博記念公園の近くに住んでいたこともあり、「太陽の塔」は非常に身近な存在だった。特に「座ることを拒否する椅子」「犬の植木鉢」については実物は見たことがないものの(レプリカまたはグッズは販売されていた)、友達のような存在だった。それは今で言うゆるキャラのような、深く考えず見て楽しむという対象だった。 

 10代までは、岡本作品も実物を見たのは「太陽の塔」だけだった。他にも地方でパブリックアートにいくつか接することはあったが、記憶に残っていない。そう、1度しか見なかったものは簡単に記憶から消えてしまうほど、アートというものは真剣に向き合う対象ではなかった。岡本作品でなくとも、「美術館に行き、一般的に美しいとされる絵画を見て感動し、完結する」という、ある意味で鑑賞というルーティンの繰り返しだった。 

 当時の若い自分は、アートに向き合い、自分の感受性のフィルターを通し、体内でどのように合成されていくかなど意識もしなかった。まして、その解釈をどように人生に関連付けるかなど、考えたことはなかった。 

 変化に気づいたのは2008年夏に京都から東京に引っ越して来て、渋谷で初めて「明日の神話」を見た時だった。あの時の衝撃は覚えている。幅30mの大きさだけに圧倒されたのではなく、強烈な色彩、力強い線、うごめく生命体、全身で感じる熱量、一瞬の衝撃は全てを言葉に表せなかった。なぜ、渋谷駅を行きかう人は「明日の神話」の前に立ち止まることもしないのかと不思議に思ったほどだった。10年早ければ、感性はより柔軟であっただろうけれど、これだけの強いエネルギーを受け止められるほどの美的意識も直感も養われてはいなかった。 

 今より早く出会っていたところで何か変わっていただろうか?若い自分は、そこで足を止め、作品を前にして直感を頼りに向き合ったところで、どの程度の意味付けができただろうか。早くに出会っていても、何も変わっていなかっただろう。   

 アートはただ消費するように楽しむ対象であった10代。アートとは何かを考え始めた20代。アートに問いかけ、答えを見つけ、生き方を探し始めるまで、そこからさらに20年もの年月がかかってしまった。


「アートと自然」

 20代前半。2003年3月から1年のほとんどを、カナダのオンタリオ州ロンドンという街で過ごした。森に囲まれて暮らしているような、自然の美しい所だった。 

 ふとしたきっかけで、アートと自然の関係を考えることになった。アート=自然になり得るか、アートは自然に内包されるものなのか、もしくは対立するものなのか。森を歩きながら考えていた。この時にはまだ考えが及ばず、自然からアートがインスパイアされるものであるとしたら、アートは自然から生まれ出る物、つまり内包されるものに近いという考えに終わった。だとすると、自然がなければアートは生まれ出ないのか?自然とは常にそこに存在するものだが、アートは人の手が加えられて初めて物理的に形を為す。この両者の関係は、何かに例えることもできなかった。 

 前述の獅子倉氏の作品、もっと早く出会っていたらと思ったコーンとバケツの禅の作品は、記事によると日常のアート化がテーマであったそうだ。カナダにいる頃は、自然がそのまま日常だった。自分なりの解釈ではあるが、アートは自然と同様に常にそこに存在していて、我々が視覚的に、聴覚的に認識できるようになるために形を作るのが芸術家なのだろう。我々が生きている日常にこそアートがある。獅子倉氏も、モザイクタイルに着手した時の岡本太郎のように「芸術は大衆のもの」と考えただろうか。他の誰も思いつかなかった方法で、アートを日常に融合させ、具現化させるのは、岡本太郎がより人々に近い距離で、そして日常に溶け込めるよう絵画から立体作品、テレビCMなど表現の領域を際限なく広げて行った様子を思わせる。


Comments


bottom of page